ドクターUの幻語新作12【自己愛性パーソナリティ障害】
自己愛性パーソナリティ障害【じこあいせいぱーそなりてぃ narcissistic personality】とは
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)は、誇大な自己像、賞賛への渇望、共感の欠如を特徴とするパーソナリティ障害です。
今回はいつもと趣向を変えて小説風にしてみました。それではどうぞお楽しみください。
まだ暖かいとは言えない春の日差しが窓から差し込む中、カフェの一角で、ひとりの青年が手に持ったスマートフォンを見ていた。傍から見るとわからないが、正確にはスマートフォンの中に映った自分の顔を見ているのだった。彼はコーヒー一杯でいられる制限時間一杯を己の姿を見ることに費やしていた。青年の名前は京太郎。彼は自分の容姿と自己評価に異常なまでの執着を持っていた。どこに行っても鏡があれば自分の顔や姿を見た。鏡がなければスマートフォンをミラーモードにして反転した自分の姿を見た。鏡を見るたび、自分の完璧な容姿に満足し、自分の生み出す世界に浸っていた。
ある日、京太郎は薄暗いカフェのトイレの鏡に映る自分の姿に違和感を覚えた。彼の目には、何かが違って見えた。なぜだろう。不安と焦燥感が心を支配した。その夜、京太郎は自分の部屋で身長よりも大きな姿見の前に立った。しかし、どんなに鏡を見つめても、以前の自分のように万能感を得ることができなかった。鏡に映るのは、もとの自分の姿ではなく、何か異質なものがあるように感じられた。思わず姿見を動かすと自重で倒れたそれは、傍らにあったダンベルにぶつかり細かくひび割れた。破片の中に沢山の悲しそうな顔が貼りついていた。
京太郎は困惑した。そんなはずはない。夜の街に出かけ浴びるほどウィスキーを飲んだ。
交差点の真ん中で衝動的に大声を張り上げた。なんの恥じらいもなくTikTokで流行りのラップに乗せて歌いだした。
「鏡よ。鏡。答え××××××××××××××××一番上~」
交番から警察官が駆け付けてきた。
京太郎は入院した。病棟では誰も彼のことを見ていなかった。誰も僕の美しさがわからないのか。医者も、看護師も患者も。ケガをしないように緩衝材の入った保護室の床に突っ伏しボロボロと涙をこぼした。無力であった。ふと涙の中に大きくゆがんだ自分の顔が映っているのが見えた。端正な自分の顔とは似ても似つかない醜悪な顔面が水滴の上にひろがっていた。
心が揺れ動く中、京太郎は不思議なことに気づいた。ひょっとして鏡の中の世界が彼の内面の姿を映し出しているのではないかと。自分自身に対する過剰な愛が、自分の内なる姿を歪ませていたのかもしれないと。退院が決まった夜、京太郎は今見えているものと向き合う決意をした。旅に出ることにした。自ら進んでいろいろな人と交わることを選び、その中で自分の欠点や弱点を受け入れることを学んだ。他人への理解と共感というものを知ることができた。鏡の中の世界ではなく、現実の世界に自分を投じることで、彼は内面の豊かさを見出し始めた。
時が経ち、京太郎は新たな自己愛の形を築き上げた。彼は以前よりも穏やかで、他人の気持ちにも関心を持つようになっていた。カフェの一角で今日も京太郎は鏡を見ている。裏面がステンドグラスに彩られた小さな鏡を見つめている。それは旅の途中である人からもらった異国の手鏡だ。そこに彼が見るのは以前とは違う姿だ。ちょっと疲れたような、なんか寂しそうな、年を取った自分の姿だった。そして、その姿には内なる成長と調和の光が輝いていた。